がっているうちに真に困りきったことが持ちあがってしまったのである。
 これは、どんなにしても、二十四日までの間には合いかねるということである。
 これには皆当惑した。泣いても笑っても、もう追付かないので、何もその日にきっかり出来ずとも、最も良い結果を得さえすれば、三日四日の日などを、故《もと》の先生は気にもお止めなさるまいということになって、一週間の猶予が善良なる故牧師の霊から与えられることになった。
 婦人達の口は、暫く故人の厚徳を称え、確かに天国に安まっているという断言に忙しかったのである。
 いよいよ日が迫って、寄附締切りの日には教会の内壁に紙を下げ、一々寄附金額を書き並べた。そして、その下に犇《ひしめ》き合って、
「あら! まあちょっと御覧なさいましよ。あの方はあんなに出していらっしゃる――。さすが何といってもお暮しの好い方は違いますねえ」
と感嘆する婦人連の間を、筆頭に、
「一金百円也。会長閣下」
と書かれた山田夫人が、気違いのように肩を振り振り歩き廻って、何か云われる毎に、
「いいえ、どう致しまして。お恥かしいんでございますよ」
と云いながら、一金百円也を睨み上げた。
 すべては驚くべき貴婦人らしさで進行して行ったのである。

        十三

 町の婦人連の間に、この計画のあるという噂は、直ぐ私共の耳にも入り、次で村中に拡がった。
 日数が立つままに、だんだんそのことは事実となって来たので、乾いている村の空気は何となし、ザワついて来た。どこでもこの噂をしない所はない。
 貧しい者共は、盆の遊びを繰越して、金も貰わないうちから買いたい物の取捨選択に迷い、彼処《あしこ》の家では俺ら家より餓鬼奴が沢山《たんと》いっから十分に貰うんだろうという羨みなどから、今まで邪魔にしていた子供等を一夜の間に五人も十人も殖やしたいようなことを云っている。そして、たださえ働き者ではない彼等は、こうやって汗水たらして一日働いた幾倍かの物が今に来るのだというような思いに心をゆるめられて村全体にしまりのない気分が漲り渡り始めた。
 が、依然として、私の家には朝から日が暮れるまで、「行けば何《なに》にかなる」と云う者が、来つづけていたのである。
 何だか自分の副業のようにして、愚痴をこぼし哀みを求めて、施されるということは即ち、自分等がどうなるのだということなどを考えもしない、
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