の祟りが恐ろしいというのが最大原因であったのだ。
彼女は四十余りの大変肥って背の低い人である。化粧に使う鏡は丁度胸ぐらいまでしか映らないものだったので、帯から上と下とはまるで別人のような恰好をしている人である。大きな束髪と耳朶《みみたぶ》や頸がぶちまだらではあっても念入りな彼女の「ちっともかまいません」化粧と、大きな帯で坐っているときの夫人は、実に素晴らしいものだけれども、一旦立とうものなら中心を失ったように大きな重そうな、上半身は内輪にチョコチョコ運ぶ足では、到底支えきれなさそうだ。肩を互い違いに前後に振る癖は、晴れの場所を通るとき、極りが悪いような気もするが、随分得意のときに特別ひどくなって、息のつまりそうな頭をフラフラさせ、千切《ちぎ》れそうに体を振って行く様子を見ると、どんなに敵意を持った者の心でも和らげられてしまう。彼女は、自分が押しも押されぬ会長様と定まってからは、もうすっかり落着いて、ただ人の口の端にのぼる類ない自分の令聞を小耳に挾んでは満足げに、うなずいていた。
そして町長の夫人が二年前に死去したのは、何という感謝すべきことかと、人知れずその墓に詣でたのである。若し、あの夫人にひょんなことがなかったら、今日自分はどうしてこの位置をかち得ただろう! ほんとうに、まあ何という運の好い自分だろうか! と。
かようにして、初めはさほど大仰《おおぎょう》にする積りではなかったことがだんだん大きくなって来たので、とうとう奥様達の手には負えないほどになってしまった。
牧師は、朝から晩まで祈る暇もないようにして、金の保管やら事務の整理にこき使われて、
「それも道のためでございますわ、先生」
といつも言葉を添えては、少し歯に合わない事々は、あらいざらい、まるで川へ芥《ごみ》を流し込むように押しつけられた。
顎に三本ほど白い髯がそよいで、左の手の甲に小豆大の疣《いぼ》のあるのを一言口を動かす毎に弄《いじ》るので、それが近頃では、大変育って来た彼は、白木綿のヨレヨレの着物に襷《たすき》をかけて、毎日をどれほど短く暮していることか!
婦人連は顔を見合せる毎に、
「あれがすみますまではお互様にねえ、随分いそがしゅうございますこと」
と、自分等の間だけの符牒で話し合っては嬉しげに笑った。
物見遊山に行く前のように何だか心嬉しく、そわそわした心持で、わけもなくせわし
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