どが綺麗な色|暖簾《のれん》のように、長く短く垂れている間をよけ、飾り棚を覗いた。紺|天鵞絨《ビロード》を敷きつめた、燭光の強い光の海に近頃流行のビーズ細工の袋や、透彫の飾ピンが、影もなく輝いている。彼女のすぐ耳の側で、若い娘の囁く声がした。
「ねえ私あれが欲しいわ、恰好が一番いいわよあれが」
母らしい、どこか娘のに似た声が、更に小さい声で囁くのまで耳に入った。
「だって――真物だろうあれは――」
「違う――ほら、あっちの――」
娘は、ふっくら膨らました前髪を硝子に押しつけ、熱心に小指で、自分の欲しい飾ピンの方をさし示した。
「あの右から一、二、三つ目の、分って? あれよ、ね?」
房は、母娘の睦じい様子と、娘の余念ない顔つきに牽きこまれ、覚えず小指の示す方角を見た。そこには、外見だけでは真物としか思えないセルロイド鼈甲《べっこう》の気取った飾ピンが、カルメンの活動にあったような形で派手に横わっていた。房も、年をいえばあどけない素振りで母にねだっている娘と大して違わなかった。行って来た処、云われたこと、自分にはこの娘のように安心して甘える母のないことなどがたたまって、房は、ざわめく夜の散歩の中で、ひどく自分を孤独に感じた。胸がきゅうと、引緊るようになった。彼女は、泣きたくなるのを堪える時の癖で、くんと顎を突出すような、負けずぎらいな顔付で大股に店を出ようとした。その途端、ひょいと一人、女が横から出て、彼女の行手を遮った。房は、感情がこみあげていたので、相手を見定める余裕なく、すりぬけて猶進もうとした。すると、前にふさがった女は、一層彼女に擦りつき、攻めるような、からかうような快活な凝視で、房の注意を促した。
「一寸! いやなひと、忘れたの?」
房は瞬間仏頂面で視た。
「――まあ、あなた」
彼女は、俄に気が和むと一緒に、何と挨拶してよいか判らない感動に打たれた。
「まあ――どうしてわかって?――でも、まあ、本当に、こんな処で会おうとは思わなかった!」
志野の方は、房に比べればずっと落付き、
「さっきね、ふいとここを通りがかると、何だかあなたみたいな人がいるだろ、私、まさかと思ってね、でも念のためだと思って傍へよって見ると、矢張りあなたなんだもの――」
補習科時代からすると、別人のように志野は女らしくなっていた。房々軟かそうな黒褐色の前髪を傾け、彼女はさもおかしそうにメリンス羽織の肩をすくめて笑った。
「――あの顔ったら――昔の通りね」
――房は、帰る時間は気になるし、この思いがけない廻り合いを、これぎり打ちきる気はなし、せき込んで訊ねた。
「あなた、そいで今どこにいるの?」
「私?――あなたは?」
「私はついそこの坂を登りきって左へ入った処よ――須田さんて家」
「なあんだ、あすこ? あすこなら毎日通ってるわ――私、電話局に通ってるのよ、停留場んところの氷屋に間借りして……」
志野はどうせ暇だからと云って、須田の家まで房を送って来た。
四五日経って、房が氷屋の二階へ行った。
濡れた大鋸屑《おがくず》が、車庫のような混擬土《コンクリート》の店先に散ばっていた。横手の階子を、土足で登って行く――。登りきった処に、並んで二つ、それと直角に一つ、西洋扉がある。それらが五燭の、見捨てられたような電燈に照らされている。――
志野は、大きな室の真中で、長襦袢の衿をつけ更えていた。
「まあ、よく来てくれたわね、直き済んじゃうから入って頂戴」
志野が、こんな荒涼とした建物の中でも、快活で、平気で、花弁の大きい白い花のような顔付をしているので、房もやっと自分の平静さをとり戻した。
「今晩はね、お暇いただいて来たから私ゆっくりして行けるのよ。仕事もって来たげたわ」
房は、志野に会った夜、帰って黙っていられない程悦びを感じた。丁度細君が仕立てに出そうとしていた縫いなおしのお召があった。彼女は、志野の内職の足しにそれを持って来たのであった。
志野は、横坐りのまま縫物材料を指先でいじった。房は失望を感じた。が、相手を引立てるように説明を加えた。
「縫いなおしじゃ厭かも知れないけど、うんと上手く縫って頂戴、そしたら、私、これからお上のもんは、皆あなたに頼むようにするわ」
「結構よ、これで――でも、あなた親切なのね、有難う。……体どんな?」
「同じだわ」
「国へ帰んないの?」
房は苦笑した。
「だって――あなただって威張って帰れなけりゃいやでしょう」
志野は、強く否定した。
「私とは違うわ、あなたんとこなんかお金持じゃあないの、自分の好きでただ来てるんでしょう、だもん……」
「喧嘩して来たんだから、いや」
「頑固なひと!――あなたみたいにいつまでも学生みたいな人ありゃしないわ――そのままにしていたら、だって、悪くなるばっかりよ。死
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