。――そんなこと私いや! 東京にいりゃ、ものの分る人が多いし、世間が広いもの――私さえ心掛けをちゃんとしていりゃ、落着くにしろ、浜人足よりゃ増しな人が見つかるまいもんでもなくてよ。――私みたいに生みっぱなしにされた者は、仕合だって苦労して自分で見つけなけりゃならないんだもの――」
「それにはさ、猶まわりをさっぱりしとかなけりゃ――誰だって――」
 志野は、うっとり考えていたが、独言のように呟きながら微笑んだ。
「……でも、もう少しだわ……」
「なにが?」
「――……」
 志野は首をかしげ、憧れと楽しさとが心一杯という笑顔をした。
「――今にわかるわよ」
 土曜日に、房は須田へ遊びに行った。上の娘が、セルロイドのキューピーに着せるものを縫えなどと甘え、房は九時近く帰って来た。店のタタキを入ると、いつになく琴の音がする。扉の外に、黒い鼻緒の男草履が一足脱いであった。房は、外から、
「ただ今」
と声をかけた。
「おかえんなさい」
 艶々した志野の声が高く返事した。
「丁度よかったわ」
 露台へ向って明いている窓枠に、和服の色白な男が腰かけていた。志野は琴をひかえて、室の真中に坐っている。
「あの――お房さん、さっき話した――この人、大垣さんての。もと局にやっぱり勤めてたんだけど、今会社なの」
「やあどうぞよろしく」
 大垣は、重ねていた脚だけ下し、窓枠にかけたまま挨拶した。
「お噂はかねがねきいてました」
 志野は、房に訊いた。
「どうだった須田さん面白かって? 丁度あなたとすれ違いよ、大垣さん来たの。ね、そうね」
「ああ。――丁度お出かけだってんでがっかりしていたところです。――どうです近頃は――面白い活動でも御覧でしたか」
 志野が引受けて答えた。
「ちっとも行きゃしないわ」
「――じゃあいつか行きましょうか、みんなで。――今週何があるかしら――バレンチノ――荒鷲なんての素敵だったな」
 志野が、自分の宝を自慢するように吹聴した。
「純吉さんたら、まるで活動通なのよ、外国俳優の名なんぞすっかり暗記してる位だわ。ね、そうでしょ」
 大垣は少し得意そうに、
「いやあ」
と笑った。
「そんなじゃあないさ」
 やがて、志野が訊いた。
「ね、お房さん、大垣さん、いくつに見える?」
「さあ――大人ぶっていらっしゃるわね、でもそんなにお志野さんと違わないんでしょう」
「ひゃあ、どう
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