百銭
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)木賊《とくさ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九二七年一月〕
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或る洋画家のところへ、来月お金が入ることになった。ふだんその人は真面目に勉強しているのだが、或る理由からお金がちっともとれず、一緒に暮している女のひとと生活する必要のためには、夜、餉台の上まで低く電燈を引っぱり下してその下で、細かい細かい面相で芥子粒位のものを描く仕事をしなければならない。細かいその仕事は金粉や銀粉をつかってする仕事だから、たった一つの電燈の光でも四畳半の穢い部屋の中では随分美しく、立派に光りさえもするが、何にしろそういう仕事で食って行かなければならない。その中へ、来月纏ったお金が入る。お金が入ったら、何と何と買おうと思っているかということを、その人はそれは楽しげに話した。
「先ずこのひとに靴を一足買ってやってね、羽織も拵えようっていうんです――着物なんぞ、まるでないんですからね。私も羽織は一枚いる。――それからオーヴァが欲しいっていうけれどとても駄目だから、一つ布地で買おうっていっているんです――ね、自分で縫うね」
「もち! 縫うわ、×子うまいもんよ」
「ハハハ、手袋はもう買ったからいいね」
「ええ結構!」
「――私は貧乏になれて一人だと平気で金のことなんぞ忘れているんだが、このひとが来てから少しそんなことも考えなければならなくなった」
一緒にいる若い女のひとは小猫のような感じで、甘え切って合点合点をし、ぱっと睫毛の反った眼で人々を見廻している。対手が、そのひとの全存在を心の上にたっぷりと抱きかかえ、実に混りけない歓びで愛す者に買ってやれる品々を話しているのを聞いていたら、何だか彼が持とうとしている金は、世間に通用するただの金ではないような気持がして来た。彼の心持には金そのものが儲かるという世俗な利慾の跡などは微塵もなく、さあこれで買って遣るぞ! という明るい濃やかな勢こんだ生活の嬉しさがキラキラ燦き渡っているのだ。金がただの金というだけでない、彼のその女のひとに対する愛が金までを一種独特な優しさ、可愛さ、真心あるものに感じさせたのだ。彼の純粋なよろこびは、ききてに忘れ難い感銘を与え、思い出すたびにこの世には祝福された金というものも間々あることを嬉
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