しく心に味わわせる力を持っている。
金のことについて話すのをきき、こんな感銘を与えられたことは珍しいことであった。
この印象からいろいろ思い出すことがあった。全然わけは違うが、やはり金ならぬ金とでもいうような連想の一つとして――
六つか七つ時分、祖母が田舎に一人暮していて、時々上京して来る。いつも急に思い立って来るらしかった。大抵早朝上野についた。そこから札を買って乗る人力車で家まで来る。その知らせで母が驚いて起きて来、祖母に挨拶がすむと、
「一寸電報でも前もって下さればようございましたのに、いつも不意でお迎えも出ません」
とやや気むずかしげにいう。祖母は、やっと火が入ったばかりの火鉢の前へコートを着たまま坐ってい、煙草を吸いつけながら、
「おれも来る気なんぞ昨日までなかったが、急に考えるとはあ眠られないようになって出て来たごんだ」
と、内心の訴えを間接に表わす。どちらも、笑顔で最初の一言をきき合うというようなことはなかった。その点祖母も母も不幸な廻り合わせで一生過してしまったわけだが、その祖母が秘蔵なのは私であった。少し大きくなってから、夏休みなど飯坂や五色温泉に連れて行ってくれた。これはその前のこと、そうやって祖母が出て来ると、お土産にきっとお金をくれた。一円くれるのであった。
「おら田舎婆さまで今時の子供は何が好きか分らないごんだ。お前好きなものこれで買え」
その一円は五十銭の銀貨二枚か札かであった。母は子供が金を持つことは悦ばない。然しこの場合は黙って見ている。
ふだん金というものを持たないから一円貰ったのは嬉しかった、自分のお金がある――いい心持だ。けれども、一円が沢山なのは分るがどの位沢山なのか、買うとしたら何が買えるか、見当はつかず困ったような気になる。一先ずその金を母にあずけて置く。幾日か経って、
「あのお金ある?」
ときいた。
「ありますよ」
「だして見て」
「どうするんだい」
「どうもしないけど、出して見てよ」
さあ、と母が出したのは、あずけた時のままの銀貨二枚でなく、殖えていた。母は大人の感情で一円だけの金高を他の銀貨をまぜて揃えたのであった。
金の分列というか、そうやって同じ一円をいろいろの銀貨や白銅でいろいろの数に多くしたり少くしたり、それでつまり一円に出来る面白さが強く子供の心を捕えた、ものを買える買えないはどうでもよ
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