社につくられていない。
 会社の都合のいいときはいろいろおだて、実際には「女ども」と軽蔑されるのが、みんなの共通な絶間ないフンガイの種であった。
 女学校出の若い女たちらしく互の中だけで、
「何て馬鹿にしてるんでしょう!」
「人格を無視してるわよ!」
などと不平がよく洩らされた。
 然し、××○○会社には職業紹介所などから人を入れない不文律が昔からあって、多勢いる女事務員たちも、みんな誰かの紹介で入社した者ばっかりだ。
 生活も親や兄の家にいて安定のある者の方が多かった。だから、会社の中でいろいろフンガイし、馬鹿にしてるわ! 何て癪なんでしょう! と云っても、その場その場、とりとめない亢奮で消えてしまうのが癖だ。
 今もガヤガヤ喋っているうちにだんだんみんなの気分の張りがゆるくなって、
「――あなた、それウォータア・カールなの?」
「そうじゃないわ。あれ毎日やらなくちゃ駄目なんでしょう?」
 そんな会話がポツポツ出はじめた。
 ミサ子はテーブルの上へ頬杖をつき、こぼれた番茶のしずくを妻楊子で拡げながら、考えこんでいた。ただ喋っただけでは消えない腹立ちのかたまりがミサ子の胸にある。
 ××商事の奴が、若し本心から怒ってミサ子にくってかかりでもしたのなら後がもっとさっぱりしただろう。××商事の奴のしん[#「しん」に傍点]はガラン洞の気持だったのだ。それは、受付でミサ子が自分の名を紙に書いてた間、ぼーっと往来を眺めていた男の顔付でわかる。
 あいつは、自分のものでない何かの威を借り、高飛車に出たのだ。だからミサ子が他の会社のものだと分ったときのみっともない、卑屈なあわてざまときたら、どうだ。全く「ざま見ろ!」だ。
 然し、ミサ子の苦々しい発見は、そこからも深まった。あんなケチな奴にさえ権力のようなものが与えられている限り、現に順子はたまげてしまって、きくべき口さえ碌にきけなかったではないか。
 今までミサ子はみんな、ほかの女事務員と同じように守衛などというものは謂わば自分達のためにもなる番人ぐらいに考えていた。それも違っていた。ときによれば守衛までハッキリむこうに廻るのだ。そのために雇われているのだ。
 考えているうちに、ミサ子は切ない緊張した心持になって来た。頭の中で、何かカラクリがじりじりと一まわりしかけている。これまでうっかり見そこなっていた自分たち女事務員、勤人の生活の本体というものがわかって来そうな工合だ。
 ミサ子は、思いが凝って上気《のぼ》せ、少し恰好のかわった奇麗な一重瞼をあげて、何ということなく、たべあらした膳ごしにテーブルのむこう端にいる柳の方を見た。
 柳はいつものふっくら落着いた顔つきで、余り喋らずおだやかにミサ子を見ている。が、ミサ子はその眼差しから今は特別自分の心持に相触れる何かを感じた。
 やがて、柳が、
「みなさん、どうオ」
と、持ち前のゆっくりした口調で云いながら椅子をどけて立ち上った。
「お天気がいいから、また四十分ピクニックやらないこと?」
「賛成!」
「私丸菱へ行かなくっちゃ」
 ミサ子を入れて十人ばかりが、柳のゆれている濠端へ出て、初秋の日向を日比谷公園の方へ歩いて行った。昼休みが一時間ある。四十分ピクニックもいつとはなしはじまって、一月に二度ぐらい、日比谷公園の池の畔へ出かけたり、芝生で休んで来たりするのだ。

        五

 狭いコンクリートの階段を三階までのぼって行くと右側に小さい借室が四つ五つ並んでいる。廊下に雑巾バケツや脚立《きゃたつ》が出しっぱなしになっているという粗末なビルディングだ。
 エスペラントの講習会はそこの一室である。
 ミサ子が富士絹の風呂敷づつみを抱え、ソッとドアをあけて入って行くと、荒板を打ちつけて拵えたベンチにかたまって板をしわらせながらかけている連中の中から菅が、
「ヤア……ちょうどいいところだ、早く来なさい。みんな食っちまうヨ!」
と大きな晴ればれした声で呼びかけた。
 エスペラント講習会には実にいろんな連中がやって来ていた。七八人いる女の中にも、女教師らしい洋装のひともいれば、役所づとめらしい地味な袴姿の三十前後のひともいた。男の方はもっと雑多で、若い勤人、労働者風のものから給仕らしい十六七の少年までをこめている。
 めいめいの身分については互に余り喋らなかったが、ミサ子はこの講習会の雰囲気がいかにも親しめた。
 講習がはじまるとき、中尾という黒い服を着た独身者らしい中年の講師が、
「この中で英語や何か、外国語を一つもやったことのない人がキットあると思うんですがちょっと手をあげてくれませんか」
と云った。そのとき菅は茶色のシャツを着た腕を最初にあげて四辺《あたり》を見廻した一人だ。
 それからだんだん講習がすすんで何日目かに、
「君は労働者か?」
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