る幾台もの自動車のボディーはキラキラ日に照っているが、××商事の豪壮な石造の入口の奥は暗くひんやりして見える。
何段もの石段を小走りに登って、ミサ子は詰襟の受付に順子への面会を求めた。
左手に長い廊下がつづいている。そこに、後から光線をあびて順子の姿が黒く現れた。下を向いて何か紙片れのようなものを見ながらゆっくりやって来る。
ミサ子は執務時間中に来ているのだ。気がせく。
「ちょっと!」
声を殺してせいたが、勿論順子には聞えない。紙片れを事務服のポケットへしまったのを見すましてミサ子は、両手をゲンコにし、ランニングの恰好を真似して体の前で動かして見せた。順子は、遠くから首を曲げ、
「なあに?」
という思い入れだ。早くったら! のんきね。ミサ子がもう一遍袂を振ってランニングの身ぶりをし、おいでおいでをゲンコのまんまの手でしたときだ。いきなり、
「おい! 何してる、そこで!」
びっくりしてミサ子が振向くと、立っているのは、縞のネクタイをつけた背広の男だ。
「え? 何してるんだ、ここで!」
ミサ子は凝っとその男を睨み、それから守衛の方を見た。変な、何か悪ふざけをしかける男かと思ったのだ。が、守衛は、金モールで××商事のマークを縫った詰襟の上から、冷淡な軽蔑した口元をしてミサ子を見下している。――
ミサ子には訳がわからない。
「――私何かわるいことをしたんですか?」
「何か悪いこと? 人を小馬鹿にしたことを云うもんじゃない! う? 大体何と心得てるんだ。この頃の女どもと来たら変な洋服で一日じゅうとび廻るかと思いや、ふざけた恰好して……さ、名と部を書け。あとで厳重に処分するから」
受付へミサ子はさっさと歩いて行った。縞ネクタイの男は、片手をズボンのポケットへ突込んだまんま、顎をしゃくって、
「おい、この女に紙と鉛筆をやる」
と云った。
「さ、書くんだ。正直に書くんだぞ」
ミサ子は口惜しさから人さし指の爪が白くなる程力を入れて鉛筆を握り、紙一杯に大きい字で××○○会社△△部大井田ミサ子と書いた。
ミサ子がこっちを向いて書いてる間、縞ネクタイは足を開いて立ちぼんやり玄関前の舗道を眺めていた。
書き終ったと分ると、
「どれ、こっちへよこした!」
と、皮の厚い手をのばした。横面に平手うちをくらわせるような気持でミサ子はさっと紙をつきつけた。
縞ネクタイは、読み下すなり、あわてて片方の手をポケットから引き出した。
「なんだ!」
守衛と小柄なミサ子とを急《せわ》しく見くらべた。
「うち[#「うち」に傍点]のもんじゃないじゃないか」
肌理《きめ》のあらい縞ネクタイの顔が何とも云えず赤くなり、彼は紙をもったまんま二三歩その辺を動いた。
「どうして応接間へ御案内しなかったんだ!」
順子が、やっと今になって涎のたまったような声で云った。
「――私のところへ面会にいらしたんです」
「いや、実にどうも! あなたも一言おっしゃって下さればよかったんだが……どうも失礼しました」
守衛に、
「御案内して!」
と云った。
「いいんです」
そこに立ったまま、ミサ子は言葉短く順子に、
「いつがいい?」
と訊いた。順子は顔をいきなり逆撫でされたような表情のまんま、
「あさってで私はいいけど」
二人が話している間に、縞ネクタイはどっかへ行ってしまった。
「誰? あいつ」
「大沢っての、庶務よ」
「――じゃあさってね」
「ええ」
ミサ子は××商事の壮大な玄関を一段ずつ降りるとき、憤怒でまだ脚が震えるのを感じた。
四
胸糞がわるいとしか云いようのない心持だ。昼、地下室の食堂へ女事務員があつまったとき、ミサ子は今朝の経験を話した。
「ひどいわねエ、ひとを何だと思ってるんでしょう!」
「××商事の大沢ってば有名なのよ」
「一体、大会社の庶務だの守衛だのって、きっと巡査上りだとか刑事上りよ。馬鹿にしてるわ!」
一つむこうのテーブルでは給仕達が夢中になってラグビーの話をしながら飯をかっこんでいる。こっちのテーブルで、女事務員たちはめいめいの粗末な膳の上から首をつき出すようにし、一人一人そのとき口を利いてる仲間の顔を見ながら熱心に喋った。
××○○会社と云えば日本で指折りの大会社だが、その丸の内を圧すように聳え立つ建物で働いている人間の中には、はた[#「はた」に傍点]に知られない不満がある。
××○○会社の二十人近い女事務員はみんな少くとも女学校出だった。柳、ミサ子、その他三四人は専攻科や専門学校出だ。男の社員の場合は中学校出と専門学校出との間には区別があるのに、女事務員だけはそんな区別がなく十|束《ぱ》一からげだった。
女事務員は決して正社員にはなれない。どんなに永く勤めた揚句でも、女事務員に退職手当をくれるという規則は会
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