テラ光らせ、剃りたての顎、長めな鼻の下へ小さく髭を立ててる。ミサ子が知っている限りの太田は、いつも同じ片づいた表情で、
「――どうです? この頃は」
と長火鉢の前へ座った。
「相変らず……」
「どうだね、一つミサ子さんの会社へでも雇って貰えまいかね」
嘘とも本当とも分らない表情でそう云いながら太田は朝日に火をつけた。
「私みたいなヘボからじゃだめよ」
「いくらでもいいよ。ほんとに! そう云ってみんなに頼むんだが、これでいざとなるとそうも行かないものと見えてなかなかないね」
一種の自負ありげに云うのがミサ子には気の毒だった。
「……二年は辛いわね、でも……」
「ああ。しかし、いろんな事業はやっていますよ。ボール・ベアリング、鉄の円い玉だが、カフス・ボタンやいろんなものにつかって銀ぐらいねうちのあるもの、あれの製造工場をやっているし……」
「儲かります?」
わきで紅茶をいれながら文子が、
「それどころじゃないのヨ!」
やりきれないという目顔をして見せた。
「今のところは、とてもそこまでは行きませんな。何しろ得意がああいうものはきまっているから、そこへ割込むのが大変だ」
ミサ子は、太田が十年余も大ブルジョア企業の中に働いていたのにまだそんなことを考えてるのかと不思議な気がした。ミサ子の浅い知識で理解したって今の不況は生産がなくて不況なんじゃない。在りあまって市場がないから不況なのだ。
「小資本じゃ駄目なんでしょう?」
「駄目だね。……だがこんどは一つトーキー映画会社をやりますよ、資本百五十万円の。――これは確にいいね!」
パラマウントが、天然色写真で同時にトーキーの何とかという最新撮影機を、元同じ××物産で今は蓄音器会社に関係のある友人へ特別契約でよこした。日本で、天然色トーキー映画フィルムをつくる。それが世界へ出て儲けは確実だというのだ。
余り話が簡単なんでミサ子は思わず……
「……だって、俳優を見つけたりするの大変でしょう? そっちはどうなるの?」と訊いた。
「ナニ、そんなことはどうでもなる」
「だって……スタアを引っこぬくのに大した金でしょう? それにいい監督だって買って来なくちゃならないし……」
「いや、それは何とかなります。十万円もする機械が何しろタダ手に入るんだから……」
ミサ子は義兄の云うことをきいているうちに鳩尾《みずおち》の辺がつめたくなるように感じた。才能のない、どこか足りなくはないかとさえ思われる太田は、失業で焦れば焦るほど××が巨大な資本の力で、儲けるのを見て来た癖で可能性のない儲妄想にかかっている。
「――義兄さん、退社手当随分どっさりおもらいんなったでしょう? みんな事業へつぎ込み?」
すると、太田の無表情な剃あとの青い顔に何とも云えない頑固な気色が浮んだ。
「――実はそのことじゃあ僕清水を怨んでるんです」
清水とは太田の従兄で、ボール・ベアリングの共同投資人なのだ。
ミサ子の驚いたことには、こういう話の間姉の文子がまるで無頓着なことだ。長火鉢のわきに縫い直しものをひろげながら、夫と妹とを勝手に話させ、自分は仲間に入って来ようとも、理解しようともしない。
何も彼もウヤムヤで、ミサ子は十一時頃帰りかけた。姉が男下駄をつっかけて門をしめかたがたついて来た。
「じゃ、さっきの話、考えといて下さいね」
「考えとくわ。……でも、姉さん」ミサ子は、我知らず姉の手を押えるようにして云った。「本当に義兄さんには気をつけなくちゃ駄目よ! あんなインチキ事業ばっかり追っかけてたら、それこそ今にドタン場だわよ」
文子はどこまでも受けみに手をとられたまま心配そうに、だが矢張りことの本質はちっとも分っていない風で弱々しく答えた。
「私だってそりゃ気が気じゃないんだけれどねエ……」
三
主任の机はがら空きで、やって来ている連中も、執務姿にはなっているが或る者は廻転椅子をテーブルとは逆な方へ向けて新聞をひろげている。
私用らしい手紙を書いている者もある。
ミサ子は、タイプライタアの仕度をしておいて、膝の上へ婦人雑誌をひろげ読んでいた。
柳が発起して××○○会社に働いてる女事務員の一部が雑誌購読会をもっていた。一冊分の会費を払えば順ぐりいろんな雑誌がよめるのでみんなによろこばれている。
不図《ふと》ミサ子は思い出した。××商事につとめている順子と左翼劇場へ行く日をうち合わせるのは今日の約束だった。
ミサ子はエレベエタアで地階まで降り、電話で順子を呼び出した。
「もしもし、今どう?」
「直ぐならいいわ、いらっしゃいよ」
疾走する自動車が都会の風をまき起す。ミサ子は翻える臙脂《えんじ》色の裾を押え、ひろい、街路樹の植わった東京駅前の通りをつっきった。
すぐ前の舗道に沿って並んでい
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