けどね、そんなことだって会社は口実にしようと思えばするってことなのよ」
 洗面所の窓から、宏壮な××○○会社の建物の間にはさまれたコンクリートの内庭が見下せた。一台の真新しい赤塗りの重油運搬用トラックが真昼の日を浴びそこに来て止っている。無帽子の社員が三人ポケットへ手を突っこんで、一人の男が何か説明しているのを聞いている。
 和田れい子が、窓から首をひっこめながら、
「はる子さん、ほんとうに気の毒ね。私女としてつくづく同情しちゃうワ。あのひと、とても無理してたからとうとうこんなことになっちゃったのよ」
「――旦那さんがあるんでしょう?」
「あるんだけど、今ルンペンなのよ。それが会社へしれるとまたうるさいし……それにね、はる子さんおなか[#「おなか」に傍点]があやしくなってたのよ」
 洗面所にいた女事務員たちみんなが、れい子のこの話へ注意をひきつけられた。
「そうだったの!」
「まあ……しらなかったわ」
「でもね、旦那さんがそんなだし、会社じゃたださえ結婚してる女をよろこばないでしょ? 帰りをいそいだり、欠勤が多いって云ったり。――はる子さんが今身持んなって、それでクビんでもなったらとても暮しちゃいけないことになるもんだから、あのひと、煩悶してたわ。そりゃ……」
 れい子は言葉を途切らしたがちょっと声をひくめて、
「……このごろ、いろんなことがあるようでもまだナカナカなのね。内緒だけれど、はる子さん、しくじったのよ。それでずっと工合がわるかったんですよ」
 サワ子が、明るい圧えつけられたような空気の中でそっと溜息をついた。柳が沈黙をやぶった。
「医者にかかったんでしょう? でも」
「二十五円もとられたんですって……出血がとまらなかったのよ」
 ミサ子は堪らない心持になって云った。
「実際ひどいもんだわ。働かすときには結婚していることなんか無視して働かしといて、いざ倒れたとなるとみんなおっかぶせちまうんだから」
 れい子が、不安そうに片頬笑いをうかべて、
「私なんか、あやういもんだワ」
と云ったが、誰もそれを笑えなかった。
「だってあなたんところ勤めてるんでしょ」
「そりゃそうだけれど、いつどんなことになるかしれないじゃないの。……人間の体だもの」
「ねエ、バカにしてるわねえ」
 サワ子が熱心に云った。
「何ぞって云うと女らしくしろ! 女らしくしろって会社じゃ云うくせ[
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