方へ曲る後姿を見ると、ミサ子はムラムラとした。
五時になるのを待ちかねてミサ子はこんどは柳を誘い、二階の端《はず》れにある応急室へ行って見た。
ドアをあけると室の中はもうガラン堂だ。はる子がいたときあげたのだろう。茶色のブラインドが一枚だけ巻き上っているところからだけうす明《あかり》がさして、むこう側のビルディングの窓が往来をへだてて見えている。毛ピンが一本床に落ちていた。ミサ子はそれを見ると淋しい気がした。
「大丈夫だったのかしら」
「……さア……」
洗面所掛の小母さんにきいたら、気がつくと沖本が来て、
「どうだね、そろそろもう帰れるだろう」
と云ったので、はる子はまだふらつくが守衛に自動車をよんで貰って独りでかえったということだ。
「どこなのかしら家って」
「代々幡《よよはた》だわ」
「――自動車代、会社で出すのかしら」
柳は、
「出すものか!」
と云ったぎり黙り込んだ。
八
二三日経った。けれども、はる子は出勤して来ない。
やがてはる子を知っている××○○会社の女事務員の間に、はる子さん大分悪いらしい話だわという噂がひろまった。
洗面所の鏡に向って髪を直しながら、
「はる子さんの、その肺リンパって、肺病なのかしら」
と、瘠ぎすの依田とよ子が云った。わきで、ザア、ザア水を出して手を洗っていた柳が、
「肺病って――結核じゃないのヨ。でもあたし達の職業病だわ。邦文タイプを永くやってると、力を入れる工合でみんなそうなるのよ」
「たまんないわねエ」
はる子は××○○会社の女事務員の中では古株で六七年勤めみんなから信用されていたのだ。
「はる子さんぐらいになったら、病気手当ぐらい貰えたっていいわね」
「そんなもん、会社が出すもんですか」
依田とよ子がいつもになくプリプリした口調でミサ子に云った。
「私が入社するとき、人事課の細谷が真先に『あなたの御両親は御健在ですか』ってきいたことよ。父はいませんて云ったら、何病で死なれましたかだって。……私が病気んでもなれば、そりゃ遺伝だって片づけられちゃうにきまってるわ」
「――何だったの? お父さん」
クリーム色の帯あげをしめなおしながら、サワ子が子供っぽく訊いた。
「船長だったのよ。南洋航路で船が沈没しちまったんです」
「アラ……。じゃそんなもの遺伝しやしないじゃないの」
「きまってるわ。だ
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