、竹すだれのかげからモーターをうならしていたうすぐらい町工場の窓がひっそり閑としてからは、便乗はますます普通のものには手のとどきかねるところで廻わされてゆくからくりとなって来た。
戦争という事業は、戦場で、最新式の武器で、兵士という名でそこへ送り出されたそれぞれの国の人民たちに殺し合いをさせるばかりか、軍需生産という巨大な歯車に小経営者の破産をひっかけ、勤労者をしぼり上げ、女子供から年よりの余生までを狩りたてて、独占資本という太い利潤のうけ口へ、血の中からすくい上げた富をさらいこむのであった。
この地獄の絵図を、わたしたち日本の全人民が自分の生活で味わった。そして、戦争がすんで三年目のきょうの日本では、例年の二倍もはげしい雷雨でびしゃびしゃな駅の構内に、つめかけた群集で徹夜のさわぎをしている。汽車の切符は二倍半にあがる。タバコがあがる。公定価格のすべてがあがる。物価の一一〇倍にたいして、労働賃銀六〇倍のあがりでは誰の暮しも追いつきかね、タケノコ生活はタマネギとなって、もうしん[#「しん」に傍点]まではいでしまった有様でいる。
闇という真暗なことばが子供の口からさえ洩れるようになってからは、便乗などと、なまやさしい表現は一応すたれたかのように見える。便乗という響には、卑屈ながら、さもしいながら、昼間という感じがある。足許が見えなければ、乗るにも乗れまいというところがあった。闇にまぎれて便乗するにしろ、ステップをてらすライトといった感じである。
闇のくらさは何にたとえよう。ふつう人の生活からひきあげられた便乗は、底の見とおせない独占資本とそれにつながる閣僚・官僚生活の黒雲のなかに巻きあげられて、魔もののようにとび交っている。
この頃、新聞に閣僚や官僚の不正利得が摘発された記事がでるようになった。罪のない新聞の読者は、もしかしたら、これも日本が民主的になって、人民の正義がいくらか通る時代になったからではあるまいか、と思ってそれらの記事にも目をそそぐのではなかろうか。けれども、ここで、わたしたちがよくよく心をおちつけて見きわめていなければならない一つの事実がある。それは、一人の次官、あれこれの社長、社会党の誰彼が法廷に出て不正行為をあばかれ、責任を問われようとも、それは、東京裁判における東條英機その他の被告が、きょうの社会にもっている関係に等しいという事実である。
日本の人民生活を、今日の惨苦につき入れ、戦場へやられた一人一人が平和の生活では思いもかけなかった残虐行為を行うようにしむけられたことに対して、日本の人民の戦争責任者追及は、むしろ寛大すぎるとさえいえる。二十万人の戦傷不具者・二十万人以上の戦争未亡人、数しれない戦災者たちは、ひきちぎられ、根こそぎされた自身の生活権について、日本のファシズムこそ敵であったという事実を、どこまできもに銘じているだろうか。
米鬼を殺せ! と一頁ごとに刷ってある『主婦之友』を読みながら、護国の妻の実話にはげまされて、良人や息子を戦場におくった母や妻は、きょう未亡人となって行末を思いわずらい、眠りかねる夜の蚊帳の中で、昔なじみの『主婦之友』をひろげたりもするだろう。そしてあてもなく華やかな外国をまねしたモードを見たり朗らかな夫婦生活と性愛の秘訣をよんだりするとき、その未亡人たちの心にはどんな思いがあるだろう。
日本の戦犯は、決して東京裁判で近く判決をうけようとしている被告たちだけのことではない。東京裁判という国際的なスポット・ライトに照らされた場面に人の目が集められているこの数年間に、その舞台のかげでさまざまの方法で旧勢力を挽回しようとつとめて、かなりの効果をあげている日本のかくれた軍国主義者の行動に対して、わたしたちは決してお人よしであってはならない。逆の形で東京裁判に便乗して、ひと握りの被告を犠牲にすることによって、現存するファシズムの力を守ろうとしている悪辣な権力にわたしたちは決して二度と自分たちの運命を支配させてはならないのである。
正義のかかし[#「かかし」に傍点]の役割を負わされている点で、きょう法廷に立つ大臣、社長、官吏が東條たちに似ているというのはこのことである。常識のなかで社会的地位があるように思われている人物が、次から次へ不正事件であげられると、さも何処にか厳しい正義が存在しているように思われがちである。
国会解散がいい出されているきょう、社会党につないでいた一般の期待が一つ一つと失われてゆくような事件があばかれることは、結局誰にとって有利なことであろうか。社会党はきわめて少数の人をのぞいて、政権をとるためには特権階級の利益をまもることで全く保守党と同一の立場をとった。それでも、純粋の保守的な政党からみれば、歓迎したい勢力ではないであろう。社会党が勤労階級の
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング