りかえし云っているこの度の十九名のファシスト達の問題についても、形式的なブルジョア権力の道徳からいえば、法律が無罪としたならばそれは罪がないということにおさめて平気です。だけれどもトルストイの「復活」でさえもカチューシャという女主人公をとおしてブルジョア法律の非人間性を暴露しています。
 治安維持法という全く権力擁護の悪法によって血ぬられた立身出世の階段を一段一段と経のぼった人間が人民の正義と自由に対して罪のない者であるということは、人間としての正義感が承知しません。こんにち、権力をもっている支配者たちの法律がそれをどう擁護するにしろ、正直な人民の正義感はそれに承服しません。ブルジョア文化・文学の感覚では、こういう種類の憤りの実感をいわゆる「イデオロギー的表現」として型にはめています。頭で考えていわゆる階級性でそういうことをいうのだと思っている。でもわたしたちのこの感じは、本当にそう感じるのです。ブルジョア文学がいつも大事に創作のモティーフとして、純粋性として主張する実感そのものなのです。こういうところにはっきりブルジョア文学の文学感覚と、わたしたち人民の文学を生み、またこれから生もう
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