哀感が残ります。その場合そういう心理が文学的にどういう反応を示すかというと、やっぱり文学というものは闘争を描き、同じような生活環境を描いている労働の文学よりも何かもっと違ったところに文学の本質はあるのじゃないかと、逆にブルジョア文学の雰囲気的なものにひきつけられる気持にもなってゆきがちです。
 この点は、働く人の職場での文学の趣味の内容をよく知っている皆さんなら理解なさると思います。
 あらゆる民主的組織の文化・文学的活動は、こういう風に勤労者の生活感情に複雑に影響してくるブルジョア文化の反映と注意深く闘ってゆかねばなりません。これもファシズムとの闘いへのはっきりした一翼です。人間の人間らしい文化的な欲求を階級の発展する歴史の必然に一致させて、それをのばし主張してゆくこと、ほんとに自分たちの文化を闘いとってゆくことは、口でいうほど簡単でありません。また、組合活動の中心課題がストライキは一段落だから今度は文化活動へ[#「今度は文化活動へ」に傍点]という考え方で成り立つものでもありません。わたしたちは、人間らしくこの人生を愛するからこそ自然に職場で活溌に働くようになるのだし、その経験から革
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