ホンで叫び、かけずり廻って、そして疲れて帰る。それだけでは何となく心がみち足りない。文学が恋しくなる。そして、文学恋いから太宰だの、椎名麟三だのを腹ばいになって読む。その人の現実と読まれる文学の間に何の必然のつながりがあるでしょう。一人の労働者として組合の仕事とふれてゆく文学の間に非常にギャップがある。そういうギャップが現実にあるから舟橋聖一・田村泰次郎がこの不況にトップをきって売れているのです。
 ここにAさんという人があります。Aさんという人は工場に働いています。それで文学好きです。文学を好きだという人は必ずより人間的な要求をもっています。自分たちの人生には金や力で解決しない、尊いものがあるということを感じています。何か求めています。ですから職場の闘争で賃金の値上げをたたかいとったにしろ、その闘争の過程で自分が人民的な組織労働者としての人間的な体験を豊かにしたというような経験のし方をしないと、金がよけいとれても侘びしい、組合の闘争や政治教育が低くて経済主義的な活動にとどまると勤労者であるという階級意識がそこに在っても、やっぱり何かしばしば満たされないものを心に残します。ぼんやりした
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