までの期間には、ある発端的な意味があったかもしれません。なぜなら、そういう発言そのものが、戦争にかりたてられた日本の人民がどんなに基本的人権を失っているかということの証拠でありましたから。しかしそれから後、日本における民主主義革命は人民的民主主義へ急速にすすむ歴史的本質をもっていることが明瞭にみんなにわかってから、ブルジョア民主主義の立場に立って確立されていた筈の「自我」の現実の姿はどのようにあらわれたか。非常におもしろい例がでてきました。
 皆さん新聞で御承知のことと思いますが、部落解放運動の長老として有名な代議士の松本治一郎氏が開院式のとき天皇に拝閲することを拒絶して問題になりました。なぜ松本氏が拒絶したかといえば「蟹の横這い」が厭だったというのです。天皇がまっすぐに向っているのに、同じ人間の議員は体を横にして横這い歩きをして出たり入ったりする。自分は人間だから厭だ、人間は元来まっすぐに歩くものなのだから御免蒙るといったのでした。あの当時「横這い」ということはずいぶんわたしたちの印象に残ったと思うのです。ブルジョア文学において最も「自我」を主張し、それについて一番潔癖な、一番完成し
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