もはよく理解しなければならないと思います。日本の民主化のこういう片輪な状態、云いかえると露骨な妨害によって歪められようとしている日本の民主化の事情において、今日私どもの文学の問題は直接どういうふうであるかというと、日本の民主主義文学の課題は、日本民主化そのもののすべての革命的課題と一致したものであります。ファシズム反対と平和のためのたたかいの諸相は日本民主主義文学のテーマであるし、人民の民主的能力の典型としてのソヴェト社会に対する支持もそのテーマの一つです。それらの一つとして古い私小説から社会小説への解放があります。ブルジョア文学の私小説では自我というものを問題にして来ました。ちょうど『近代文学』の人達が敗戦ののあとすぐ日本文学における「自我」の問題をとりあげたのも一例です。日本にはブルジョア民主主義が確立されなかったから、ブルジョア民主主義社会における意味での「自我」、「個」というものを確立させて、それからより社会的にひろい人民的な民主主義に発展させてゆくべきものだというふうに、自我の確立が、個人主義的なブルジョア的な立場で主張されました。それも一九四五年の秋から四六年のはじめぐらい
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