することさえ知らせない一つのシステムであった。知らしむべからず、よらしむべしという徳川幕府の政治的金言は、天皇制運営者たちによって、人民にあてはめられて来たばかりでなく天皇そのひとの生涯に適用された。天皇一族の経済的なよりどころは資本家、地主としての日本の資本主義の上にある。その帝国主義の段階の侵略性で、戦争をくりかえす。しかし、天皇は国民のためと教育され、人民は天皇のためと教育されて来たのであった。
最近の十数年間、特に太平洋戦争がはじまってからの五年間にわたしたちの経験した辛酸の内容をつまびらかに観察すれば、最後のあがきにおいて以上の諸関係がどんな程度にまで亢進し、ついに破局したか、明瞭である。
日本の社会心理の最底辺にとって、戦争が投機的な災難、勝てば得する式にうけとられていることが、日本の資本主義権力にとって、どんなに便利であったかということは、日本の権力が明治二十八年以来行ったそれぞれの戦争にあたって、すべての戦争反対、平和運動を禁止し、処罰してきたことでよくわかる。明治初期の婦人作家大塚|楠緒《なお》子の詩「お百度詣」は、決して太平洋戦争の日、お百度詣りをしていた母や妻
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