主義によって権力補強をはかっている社会階層により濃厚なのも当然ではないだろうか。
 わたしたち日本の女は、女らしい日常性にたって、一つ「壁」というものについて考えて見よう。防火壁という場合、それはその壁自体が火をうけ、やけこげ、最後にやけくずれても、その奥に建てられた家を、火から守りとおすところに意味がある。ある国にとって、一つの国が平和の防壁として存在するということの現実もそれと全く同じだと思う。日本のわたしたちは、何を欲しているだろう。平和そのものを自分たちの運命の上に欲していると信じる。そうだとすれば、わたしたちは、日本語を正確に、目的の明瞭にされた表現で使うことに馴れなければならない。憲法の基本的人権の最も煮つめられた表現として、イエスかノーかをはっきり区別して自覚して生きる覚悟が必要である。このたび廃止された勅語の文章をみてわかるように、日本の権力者の文字の使いかたに対する感覚の手のこんでいることは、天皇制の官僚主義が手のこんだ仕組みであるのと等しい。それだのに、どうして平和の防壁とするというような人道的立場から疑問の生じる表現をそのまま流布させたり、共産主義者は新軍国主義者
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