主義によって権力補強をはかっている社会階層により濃厚なのも当然ではないだろうか。
わたしたち日本の女は、女らしい日常性にたって、一つ「壁」というものについて考えて見よう。防火壁という場合、それはその壁自体が火をうけ、やけこげ、最後にやけくずれても、その奥に建てられた家を、火から守りとおすところに意味がある。ある国にとって、一つの国が平和の防壁として存在するということの現実もそれと全く同じだと思う。日本のわたしたちは、何を欲しているだろう。平和そのものを自分たちの運命の上に欲していると信じる。そうだとすれば、わたしたちは、日本語を正確に、目的の明瞭にされた表現で使うことに馴れなければならない。憲法の基本的人権の最も煮つめられた表現として、イエスかノーかをはっきり区別して自覚して生きる覚悟が必要である。このたび廃止された勅語の文章をみてわかるように、日本の権力者の文字の使いかたに対する感覚の手のこんでいることは、天皇制の官僚主義が手のこんだ仕組みであるのと等しい。それだのに、どうして平和の防壁とするというような人道的立場から疑問の生じる表現をそのまま流布させたり、共産主義者は新軍国主義者であるという風な世界の事実を偽った言葉をそのままにつかうのだろうか。第一次、第二次世界大戦に、その帝国主義者的侵略に反対したのは、世界の共産主義者、自由主義者、平和主義者であることを、最もよく知っているのは、共産主義ぎらいの人々であり、ファシスト自身であるのに。――
日本の常識からはまだ天皇制の絶対主義・軍国主義と治安維持法のおそろしい影がどいていない。合法的な一つの政党である正規の共産党員が世界に二千数百万人いることを私たちは現代常識の一つとして知っていなければならない。その指導者と考えられる五百余名の人々の、四〇パーセントが閣僚、代議士であることも知っていなければならない。人道主義的な立場から、また社会改善の道から共産主義に同感の点をもつ進歩的な人々の数は、今日の世界で数字的に想像されているよりも多い。
日本で民主化の急速に実現しないことを最ものぞんでいるのは、日本を今日の境遇にひき入れたファシスト的旧勢力である。その勢力は、表面ブルジョア民主主義の建設をいい、国際平和のスローガンをかかげ、国内の抵抗力をよわめて、自分の権力保持に役立つ他国の勢力と結合し、そのために役立つことで
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