、より多数・広汎な綜合的我の歴史的登場のうちに解放し成育させようとした期間、それに対して、種々な文学的表現の下にやはり個的な我を主張しつづけて来た人々によってあげられたということは、今日の国民文学の声の発生の場所と思い合わせて実に意味ふかく考えられる。
 当時いわれた民衆の文学の本質の特徴は、その文学の世界をつくり出す因子として、その文学の運命の担いてとしての民衆生活と作家の内的世界との統一のことはいわれないで、これまでそれ等の作家・評論家たちが、一握りの知識人として庶民のくらしとは隔絶した日常のなかで語り書きして来た文学的所産の単なる読者として、その消費者、購買者としての多数人へ示された関心であったという事実である。民衆の文学が、わかりやすく書くとか、民衆が浅草の漫才を見て笑っている顔を見よ現実の批判精神などを彼らは必要としていない、という風に云い出された所以もそこにあった。
 社会的要素の導き入れの要求から長篇小説のことがいわれ、それは作品行動でも十分つきつめられないうちに生産文学にすりかわり、それに対しておこった文学の文学性の擁護の動きと併行して、今や国民文学の声があまねく聞えて
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