いる事情である。
 この三四年間、日本の文学の面は何と忙しく波立ちつづけて来ただろう。国民文学という声が起った今日の日本の社会が当面している世界史の局面は、明らかに画期的なものである。それ故、国民文学の翹望は、近代の日本文学に一つの時期を画す性質をもっているということも一応肯定されるが、社会の歴史のいかなる高まりもそれ以前の数々の必然からもたらされるとおり、文学におけるその声が或る画期的な意味をもっているという一つの事実は、その事実の内に、あらゆる従前からの諸問題の経過の本質を含有して来ているという事実を抹殺するものではない。具体的な発展は、実に、そのようにして内包されている諸要因を、率直に作家自身、自身の課題として自身の内面からとりあげて吟味し直してゆくところからしか期待し得ないのである。
 国民文学という声の中には、嘗て民衆の文学を唱えたとき、自身たちの文学的要素の歴史的な吟味に向うよりも、民衆と文学との関係では文学を外からの教化資料とし扱おうとした考えに結びついて行った文学放棄の態度も自然の成りゆきとして加わっているわけであろう。そこによりたやすい血路を求めて、真の骨身を削る煩悶
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