そもそも》、私のその客観性が、あの事を起したとさえ云える位だ。神経質な、激情的で心も体も虚弱な三十八歳の男が、自分のような、生活慾の強い、どの点からも容赦のない女と一緒に暮すのがやり切れず、病的になり、自分を殺して仕舞った。不幸なぞっとする事実だ。私は、自分と云うものさえ局外から観察し、悲しむべき人間のコムビネイションから生じた人生の一ツの悲劇として、それから卒業出来ると思った。ところが違う。明るみに出るにはなかなかだと解った。原因は、良人である彼に、左様な異常な死を死なれたからではない。彼を生かし、きっと幸福にしてやれる確信も自分にもたないのに、死ななかったら仕合にしてあげたのという出鱈目な気休めは云えない。ああ云う破綻がさけようとしても避けられない運命的な災難であると仮定しても私が参るのは、それを素直に、わあっと泣いて仕舞えない自分の心だ。悲しさは涙という。よい。特に女性の脳細胞にはよい鎮経剤であるものを伴って来る。然し苦しさには、涙が道づれでない。悲歎は嵐だ。或る時は、春さきの暴風雨だ。濡れた心から芽が萌える。苦しさ、この苦しさは旱魃だ。乾く。心が痛み、強ばり罅《ひび》が入る。
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