し、共通の利害で密集した大衆の力が現実に高まって、従って主題がある程度まで深化されたモメントというものはあるわけだろう。
 われわれは、こまかい具体的情景を書いて行かなければならない。だが、ただ職場でこういった、こんなことがあったと、現象だけを追って書くとすれば、それはほとんど場面だけはプロレタリア文学で方法は自然主義であるとさえいえる。表面にあらわれた個々の現象の底をつらぬく経済的政治的な要因がプロレタリアの立場からしっかりつかまえられ、あらゆる現象がいきいきと動く相互的関係の発展のうちにあつかわれてこそ、始めてプロレタリア文学としての強靭さと、弾力と、美とをもってくる。率直にいって、徳永直のこの二つの小説はしまり[#「しまり」に傍点]がない。主題を、きびしいプロレタリア的観点からそしゃく[#「そしゃく」に傍点]しぬいたという手ごわさがない。むしろ、文章に気をつかっているのが分る。すらすらと読める文章を書こうとして、土台をがっちり打ちこむことをおるすにし、その文章の上でさえ、大衆のかたまった力、熱、メリハリを再現することに失敗している。
 この正月、徳永直が何かで菊池寛その他ブルジョ
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