、私を強くするのだ」という気持を、この作者は語ろうとしている。本多氏の短評では、「私」を出して書いているので作品として成功しがたかったと云われていたと覚えているが「私」を出したことそれ自身に問題があるのではないと思う。「私」と作者の腹のなかとが実はちぐはぐで、「私」の内省と苦悩とが真に読者の肺腑をつく態の真摯な人間的情熱を欠いているところに、この作品の稀薄さが在るのである。
 人道主義的なセンチメンタリズムを蹴たおして、仮借なく現実を踏み越えて生きようとする気組も、作品として十分の落付いた肉づけ、客観的な描破力を伴わないと、結果としては案外に単純な神経性ヒロイズムやスリルの追求に堕す危険をもつのである。

        ガンジーの糸車

「文化の再生における信仰と科学」という亀井勝一郎氏の論文(文芸)と、『中央公論』にのっている小林秀雄氏の「文芸批評の行方」という論文とは、昨今この種の批評家といわれている人々の辿っている内的斜面の姿を二人|連弾《つれびき》で語っているところに、読者の注意をひくものがあった。
 この二つの論文は、執筆に当ってあらかじめ打合わせがされたのかどうかはもとよ
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