レメント》というものがあるのを御存知ですか。この戦争後に、それができるのでなければ、ちょっと死ぬ気にもなれないというものでしょう」などと云わせているあたり「青年」を書いているこの作者としては苦もない仕上げの艶つけであろうと思われる。この作者に向って、正論とは何か俗論とは何かということについて一般の読者の心に湧く疑問の答えを求めようとしても無理であろう。その作者は、ナニ? 正論は即ち正論さ、それがどうした、といい得る人なのであるから。
 榊山潤氏の「戦場」は、以上二つの作品が過去に材料を取っているのと異っている。東京で失業に苦しんだ知識人の一人である「私」という人物が、出征して「敵は誰であってもいい。東京にあって私の行く手をすべてふさいでしまった現実が、支那服を着て目前に現れたと思えばいいのだ。こいつが敵なのだ」「人間を歪めるものは戦場よりも寧ろ歪んだ平和だ」「人間性は、すでに今日の巷にあって破壊しつくされているではないか。この上に何の破壊があり得るか」そして、戦いの中に「昂然と身を捨て切った精神に洗われ」「自身の内に英雄を感じ」終結は「この戦場をのりこえて」「善良が不徳でないところまで
前へ 次へ
全16ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング