準を高めてきた。「ナップ」の作家もそれにつれてやっぱり、一年一年と育った。技術的に、理論的に、作品行動の実践で育った。そして、今日ほんとの意味で革命的なプロレタリア作家は、「ナップ」と「ナップ」を支持する大衆の中から現れつつある。
ブルジョア文学が、ブルジョア社会機構の全般的行きづまりにつれて、衰弱し、へばって、だんだん反動化していることは、もう誰の目にもはっきり映っている。
プロレタリア芸術こそ新興する階級の芸術だというのは、これもわかりきった事実としてわれわれに示されている。しかし、あるとき読者はこんなことを考えはしなかったか?
プロレタリア文学といったって、「文芸戦線」もあれば「ナップ」もある。一方は、片方が正しいプロレタリアの闘争の道から脱れてるという。だが、反対にその一方のいい分をきいて見ろ、こんどは、正しいはずだった方が、ちり骨灰だ! 一体、じゃどっちが正しいプロレタリア芸術創造に向っているのだ? 「客観的事実」によってわれわれに見せてくれ、と。――
読者よ。
今こそ、その時が来た。「ナップ」と「文戦」とは、社会主義社会招来のために闘うプロレタリア・農民大衆の文化
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