釈と、発展を求めてゆく道の発見のしかたが、筆者とはまるで違う。まるで反対である。
 大会は、作品が固定化した理由を、プロレタリア作家各人の日常が、まだ大衆のうちに入り切ってないからだ、大衆の現実が作者の現実となりきっていないからだとしている。
 空想の欠如ではない。現実の欠如である。
 そして、その欠点を清算するために、「ナップ」の作家は、土地をかえよう[#「土地をかえよう」に傍点]とはしない。そこから逃げ出そうとは考えない。なお一層プロレタリア・農民大衆の現実の中へ中へと、正しく踏み出した去年の道を発展させてゆくことで、克服しようとする意志をもっている。
「プロレタリアートの当面する課題が、文学の課題であるということは、プロレタリアートの当面する課題を文学の内容として具体化すること、即ちそれぞれの作品の主題として生き生きと生かすことである。
 階級闘争の現実の正しい把握と、その表現との中に生かさねばならぬのである。過去のわれわれのこの問題に対する機械的理解すら生じた多くの誤謬を実践的に清算することによって、我々のこの任務を深めつつはたしてゆくであろう。これが作品におけるプロレタリア・
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