したのである。
 以上の瞥見は、私たちに今日、何を教えているであろうか。現実に即した観察は、批判精神というものが決して抽象架空に存在し得るものではなくて、それどころか実に犇々《ひしひし》と歴史のなかに息づき、生成し、変貌さえも辞せないものであることを理解させると思う。批判精神は情緒感性と切りはなされて存在し得るものどころか、人間の精神活動の諸要素の極めて綜合されたものにほかならないことも肯ける。
 文学精神を云い更えれば批判精神である、と云われるが、この場合批判精神の実体を、文学以前の社会的現実を明瞭確実に把握、判断する社会的見地或は社会を見る眼というだけの内容づけに止るべきではなかろうと思う。文学との現実なかかわり合いに於て見られるとき、批判の精神は一人の作家の内面に発動してその作家が現実社会の下で置かれている一定の関係を通じて与えられた多種多様な社会的現実に対して客観的な評価を与えるばかりではなく、その主題が芸術化されてゆく創作の過程で、作品の対象と創作方法との間にあるべき必然の繋がりをも、吟味してゆく精神でなければならない。
 嘗て純文学は、対象を自我において、従って読者というも
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