精神というものはこの文学における独自な性格である自己の存在意義への歴史的な確信と主動性とともに極めて溌剌と動いた。けれども、文芸理論としての若さから、批判の精神は文学以前の社会的見地というものと多かれ少なかれ混同して考えられていた。そのことは世界観と芸術性とが、文学の内部で対立するものであるかのような混乱があったことにもうかがえる。文学作品と読者とに対して評価の責任ある作用を営むものとしての批判精神は、その場合とかくそれぞれの作品の、文学以前の現実現象に対する作者の観かた如何から、評価の一歩を踏み出してゆくことになった。作品の内容、形式と、二つの別のもののように見られる困難が克服されていなかった。所謂《いわゆる》形式はとりも直さず内容そのものの具顕であって、その内にそれぞれの芸術性として生かされている世界観がふくまれているという生きたままの肉体を対象として、批判が縦横の洞察を行うことは出来なかった。そこには、その時分まだ批判精神は理知的・論理的・意志的なものであり、芸術性は感情的・感性的なものであるというような昔風な知情意の区分が、統一された人間精神の発動の各面という理解にまで高められ
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