たような古典のひもときかたをしてゆく態度であった。後者は、前方への進展の見とおしとその社会的なよりどころを見失った文学の懐古的態度として現れたのであったが、時代の急激なテムポは、微温的な懐古調を、昨今は、花見る人の長刀的こわもてのものにし、古典文学で今日の文学を黙せしめようとするが如き不自然な性格を付加して来ているのである。

        二 国文学のもつ地の利

 日本文学の古典が、今日の文学の現実的な進みを助ける力としてよりも、寧ろそれを制しとどめるような力として持ち出されて来ていることについて、一部の社会情勢がしからしめていることは勿論云うまでもない。真実の新しい希望や生活の見とおしを失った人間が過去だけを貴重なものとして自他に向ってその記憶をくりかえす事実を、私たちはまざまざと日常の実際の中で見ている。だが、今日国文学が文学研究の態度から見れば全く不健全な人為的隆盛めいた状態におかれ得る事情に、日本の諸文学研究の伝統中、従来国文学が最も弱い環の一つであったこと、そして、そこに向って今日文学外の力がかかって来ていることは特別な注目に価することではないかと思う。
 国文学の研究
前へ 次へ
全14ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング