いのである。
「さび」というものが、日本芸術の一つの大きい価値とされて来ているということに対して、アメリカ生れの日本青年はなかなかその内容を会得し難い。或る席で、「さび」の話が出た時、第二世である青年は、単純に、「さび」などという趣好は、西洋文明に比して日本の文明が貧困の文明であることの証拠にしかすぎない。竹の柱、茅の屋根など、日本が貧しいために伝統づけられた美的認識であると云った。居合わせた人々は、不愉快な面持で、精神的な問題だよ、と云った。東洋精神独特の美の感覚なのだから、とつよい語調で云った。それだけでは、益々理解が混雑する様子であった。封建時代の日本人がその社会生活から慣習づけられていた感情抑制の必要、美の内攻性及び日本の建築、家具什器の材料に木、紙、竹、土類を主要品とした過去の日本の風土的特徴等が、「さび」を語った場合とりあげられなければならないであろう。
仏教の思想、剣道の勘、いろいろなものが「さび」という感覚をつくりなしていたのであろうが、社会生活が変化している今日では、抑々《そもそも》その「さび」を主とする茶道が、関西にしても関東にしても大ブルジョアの間にだけ、嗜好されているという現実である。骨董で儲けるには茶器を扱って大金持の出入りとならなければ望みはない。今日日本の芸術の特徴とされている「さび」は常人の日暮しの中からは夙《つと》に蒸発してしまっていて、僅にその蒸溜のような性質のものが、茶会も或る意味でのコンツェルンであるブルジョアの間に、骨董屋を挾んで残存している。外国人に見せるものの中に|茶の湯《ティー・セレモニイ》という項は必ずある。果してそれを今日の日本の一般的な日常生活の姿として云い得るであろうか。鉄飢饉の記事は新聞に目立っているのであるが、その飢饉によって巨利を占める人々が、茶席に坐って、鉄を生まぬ日本の風土が発生させた「さび」を賞玩するのを、愛する日本の伝統は、今日の風雅と称するのである。
四 今日の勘
芸術諸般の極意に達する心理的、生理的な過程を、日本人は勘という表現であらわして来た。ある程度までは説明がつく、それから先は勘でのみ会得されるものだ、そこにその道の極意は秘せられている。そういう意味でつかわれ、作家の勘ということは、科学的・理論的批評を否定し得る力のように、或る場合では今日に於ても、相当絶対的な云い方でつかわれている。勘という言葉は、いき[#「いき」に傍点]やさび[#「さび」に傍点]より遙かに用途も広汎で、現代の日常性に富んでいるのである。
ごく日本的な、この勘というものは、どんな歴史のいきさつの中から今日に伝わっているのだろう。由来、剣道、能楽などの秘伝は、最後は直感、綜合的なこの勘で、悟入し得る手がかりを様々の抽象的な云いまわしや象徴的な比喩で書きあらわしたものと思える。ところで、剣道の流派というものも、能楽も昔は一子相伝的で、特に刀鍛冶など、急所である湯加減を見ようと手など入れればその手を斬り落される程のものであったと云われている。歴史が今日の私達に教えているところに従えば、最も封建的な形でのギルドが、一つの職業における親方と弟子との関係の中に生んだものが、勘の土台をなしているのである。それは当然当時の製作工程の未熟、原始性をも語っている。
文学創作の過程は複雑で、個性的であるけれども、主観的に所謂たたき込んだ勘にたよるばかりで、作家が常に必ずしも現実の核心にふれて描き得るかどうかということには大きい疑問があると思う。
勘は天来のものではなくて、人間の努力、反復、鍛錬の結果が蓄積して、複合的な直覚が特定の範囲で発動し、肉体の動きまでを支配する、そういう意志的な要素を底流とした心理であるから、勘の内容は、反復され、努力されることの質に応じて具体的に相異があるし、変化もする。全く伝統的な勘という表現でさえ、抽象的にはあり得ないのである。例えば平山蘆江氏が自身の境地のなかで身につけている勘、それとは違うであろう菊池寛氏の勘。更に小林多喜二が持っていた勘は、前者が二様であっても大別一系列の中に包括し得る性質であるに反して、その本質を異にしていた。これは、誰にとっても極めて理解しやすい実例であると思う。
今日ほど、文学の動揺が甚しかったことはなかった。文学に思想性を求める声は、どんなに今日の文学が思想を喪失し、剥奪された事情におかれているかを、あますところなく語っている。思想的な規準は失われたと一応思い込まれ、自身にそう云いきかせることによって、今日の人間の知性や良心に加えられている重圧に対する溌剌とした対抗力の眠りをさますのをおそれている形である。そして、多くの作家たちは、益々多くの人間的又は作家的な勘にたよってものを云うことが殖えている。自分の勘に対
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