する自信の弱さ強さが、押しのつよさ弱さにかかって来て、ひいては、云う声の高さ低さにまで及んでいるようでさえある。
然し、ここには沢山の危険がある。現代は、自分の持っている勘と自覚されるものを、客観的に、歴史性の上にとり出して調べて見ようとする、その必要に心付く勘というものが、より重大な人間的役割をもっているのではなかろうか。保田氏は明かに自身の勘にたよって、昨今の諸文章を執筆しておられるのであろう。が、今日の現実の日本には、その勘の働き工合に、ピンと来る別種の勘が、根強く存在しているのである。勘の新たなる素質が黙々と蓄積されつつあるのである。
[#地付き]〔一九三七年三月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「都新聞」
1937(昭和12)年3月8〜11日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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