文学は常に具体的
――「国民文学」に望む――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)俟《ま》たない
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四一年四月〕
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生活的な真実というもののあらわれは、非常に多種多様だと思う。
国民文学が単一に民族伝説(サガ)だけを自身の内容とするのでないことは明らかなわけだから、生活が年々に経てゆく現実の諸相から諸種の文学が生み出されて、そのものの文学としての真実で、国民の所有する文学の宝庫をゆたかにして行って自然だろうと思える。
文学というものの興味つきない胎内では、民族がある時期に遭遇している特殊な歴史の相貌や要望やらというものを、それなりで結論とはしていない。「イリヤード」や「オデッセイ」にしろ、経験された事象が、その経験された時間と空間との中から、もっと雄大な歴史的時間の感覚のなかに放たれて、そこでうたわれ、描き出されているために、その芸術性の故に、普遍性をもっている。
芸術の永遠性ということをいわれるとすれば、それは自己肯定の狭隘を破って、経験された事象が前後
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