いている文章がはっきりその実例を示している。
火野葦平という人が、芥川賞を貰った。彼が今日おかれている境遇にあって、自分が作家であるという自覚をつよめられたことは興味あることだと思う。「糞尿譚」の題材と文章との間にはギャップがあって、いかにもあの作の書かれた時の文壇を語っているものだが、彼の生活経験は、ああいう贅肉と線とをどのように引しめたであろうか。蓄積された経験はこれから、どんな文学の成果となって現れて来得るであろうか。この作家をめぐる内外の事情のなりゆきこそ、或る意味ではひとごとならぬ注目をひくものであると思う。何故ならば、彼の境遇は数において彼のみのものでないと同時に、質的に明日の文学に影響するものであり、仮令《たとい》形の上で様々の相異はあろうと我々すべての生活と文学とに詳細につながり合っているからである。[#地付き]〔一九三八年六月〕
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「三田新聞」
1938(昭和13)年6月10日号
入力:柴田卓治
校正:米田
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