大陸にいって書いて来る文学の肉体・呼吸・体臭は大陸の文学の輪廓を出しにくいのが目下の現実であり、そこに文学としての畸形が生れている。
 大石さんなどでも、書きにくさについて語っているが、この素朴な表現に案外多くのものがこもっているのではないだろうか。作者としての大石さんが、作品の世界にとらえ難《にく》いと歎いているものはあながち海外でのみみられる日本人の人間としての成長の過程のあとづけばかりではなくて、そのように日本の心をつくりかえてゆくそこの土地の力の云うに云えない日夜の作用そのもののうつし難さも在るのではないだろうか。
 ある土地の風物は作者が直接耳目でふれたから間違いない、という範囲で文学が文学としてのいのちをもち切れないところが微妙であるのだと思う。[#地付き]〔一九四〇年十一月〕



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「月刊文章」
   1940(昭和15)年11月号
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