らの青年たちのまるで身近くまでちかづいて、クライドのようにそのなかに入ったように見えるところまで来て、さていざとなると、富める者は自分たちの気まぐれな触手をさっと引っこめて、貧しい無援な青年の生涯は悲しく浪費されてゆくことが、「アメリカの悲劇」の本質として描かれている。
デモクラシーというアメリカの祖語に対して、日常現実のそういう対立と隔絶の中からドライサアの見出した悲劇が、現代のアメリカの社会悲劇であるということは、誰しも肯かざるを得ないから、この作品が今から三十年前に発表されたとき、アメリカのあらゆる読書人が何かの意味で衝撃を感じたということは十分に推察される。
ドライサアは大変バルザックがすきだそうで、そう云われれば文体などでもバルザック風に所謂文学的磨きなどに拘泥しないで、いきなり生活へ手をつっこんでそこからつかみ出して書いているようなところに、ある共通なものがある。
主人公クライドが、愛人である女工のロバアタの始末にこまって、ふとした新聞記事の殺人事件から暗示をうけ、その錯乱した心理の圧迫がロバアタを恐怖させその瞬間の二人の動物的なまた心理的な葛藤から、ついにロバアタが
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