代の心理的手法である。
アメリカの実利性、人間精神がより高く深く真理をとらえようとする懐疑を忘却して自足しているアメリカの精神麻痺へのプロテストとして、アンダスンは「暗い青春」の主人公の家出、破婚、流浪の本質を描いているのだけれども、フランス文学にごく近接しているようなその作風が、やはり文学の肉体として敏い感覚性や批判の心をくるんでいるのは独特なアメリカの肉の厚ぼったさ、大きさ、ひろさの響である。
このところは、文学の特性として真に面白いと思う。
つづけて、パール・バックの「山の英雄」という作品をよんだ。これは粗雑な訳で、文学的な香りは文学からすっかりぬかれていてつまりは話の筋を読むような情けないものではあったが、それでも作品として受けた感情は浅くなかった。「山の英雄」という訳名よりも、「|ほかの神々《アザ ゴッズ》」という原名の方が遙に内容に切実である。
バックはこの作品で、アメリカが、社会的な気風の特長の一つとしていつも社会全体にとっての英雄を渇望していて、何か偶然のきっかけでそのような英雄にまつりあげられた平凡な一市民は、そのためにドライサアの「アメリカの悲劇」では主人公クライドにとってのりこえられなかった貧富の堰《せき》ものりこえる代りに、人間としての生活の自主を全く喪って、英雄業者として四六時ちゅう行動を掣肘され支配され、ハリウッドのスタアのような人為的雰囲気で生存しなければならない悲惨を、バート・ホームと妻キットの性格の相剋と絡めて描いているのである。
この小説は「アメリカの悲劇」が書かれてから三十年経っている今日のアメリカ社会の性格をとらえていて、社会の歴史の動いて来ている姿がまざまざと理解される。アメリカの所謂名門旧家の人々が、いつしか社会の推移につれて教会の神のほかの神々である金力のほか有名人という気まぐれな神にも支配され奉仕するようになって来ていること、しかもそこにアメリカ的実務性にしたがって有名人製造というビジネスの存在する有様を、バックは描き出しているのである。
永年支那に生活して「大地」をかき「戦える使徒」「母の肖像」をかいたパール・バックが、アメリカにかえって、新鮮な感受性と観察と批判とでそこにある社会生活に目をやったとき、この人間を不幸にする刻薄な神の働きを見出したのは深い意味がある。バックはそこで原始的なものの上をいきなり
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