しての敏感さ、文学以外の専門における透徹性或はその社会的行動への内省においては、決してマイナスのもののないことを、それどころか生活的な意味の明瞭なプラスのあることを条件とするのが本来であるのは、おのずから明らかなことではないだろうか。素人の文学が、片言風の面白さだの、単にその経験の素材の珍しさだのでだけ評価されなければならないほど、日本の文学は窮乏していないであろう。
 文学の側から素人の文学と云い得るものの最もすぐれた美しさの典型の一つとして、私たちの心は科学に従事する人から、真の科学と人間の諸現実を描いた作品を、期待するわけでもある。
 文学と科学とが、私たちの感情のなかで分裂している状態は殆ど悲しい蒙昧であるとさえ思う。文学の仕事をしているものの果して何人が、今日自分たちの想像力、ロマンチシズムの根柢を科学と人間との動的の可能性の上においているであろうか。
 科学者と云われるひとたちが、自身の誤った文学性で折角の科学的観察や記述の価値を混乱させている例は、ファーブルやシートンにも見られる。チンダルがアルプスの氷河をかいた作品などは、文学として素人であっても、科学的な態度の一貫した
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