、政治的情勢と全然異る。あの時代にふくらんだ女の肩袖と、今日ふくらむ女の肩袖との間に決して同一な社会的基礎はない。内容が違う。内容の異る二つのものが一つの同じ言葉で表現されるということはあり得ないのである。
 プロレタリア・ルネッサンスという表現についても同様のことがいえる。イタリーを中心として起ったルネッサンス時代の経済的、政治的、文化的事情は、一九三二年の日本において、ソヴェト権力による社会主義社会建設を目ざして封建的軍事的絶対主義権力と抗争する日本のプロレタリア・農民のおかれている一般情勢とは全然性質の違うものである。階級闘争の歴史的モメントが違う。亀井は、日本においての来るべき革命がプロレタリア革命を包含する民主主義革命であるという点に、プロレタリア・ルネッサンスの社会的根拠と、日本のプロレタリア文学者がプロレタリア・ルネッサンスの樹立を夢想する現実性をのべている。一歩をあやまればプロレタリア文学運動の上に、民主主義的段階主義的危険がこの論文によって導きこまれるのである。
 日本のプロレタリア革命が民主主義革命の内から急速に転化されるものであるという解釈は、決して民主主義革命の
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