提出されている点を核心的にとりあげ、明治維新がいかに農民の搾取の上に行われた「反革命的」性質のものであるかを摘発し、今日の現実に闘争する革命的大衆にアッピールすべき農民の姿を小説のどこにも見出し得なかったことを「青年」について批判している。特に高崎郡領一揆と大久保利通にその例を見る維新の封建地主勢力の庇護のもとにあった志士団と革命的農民との敵対関係へ、われわれの注意を向けている点は見落すことのできないことである。
 明治維新を「その被圧迫階級の立場から描くことこそマルクス・レーニン主義的であり、唯物弁証法的であり、今日の闘争と切々脈打つところのわれわれの歴史小説でなければならぬのだ。」この徳永の解説にわれわれは少しばかりの、然し意味ある数行を附加しよう。レーニン主義・プロレタリア文学として今日に役立つ歴史小説として明治維新を書くための取材は広汎な範囲に可能であり、決して直接農民一揆をだけ取扱うことが、革命の前夜における日本の闘争の現実の必要性を満すのではない。「生麦事件」を書こうとも、ブルジョア作家十一谷義三郎をしてブルジョア的盛名を得させたと同時に堕落させた「お吉」を書こうとも、「天
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