プロレタリア作家の生活慾はもっと直截であり熱烈である。革命的作家、文化の闘士として直に勤労大衆のうちにまじり、闘争をともにその中にあって闘争して、大衆の豊富な革命的経験を自身の創造力として摂取するとともに大衆を自身の経験の価値に目ざめさせ、プロレタリア文学における新しい交代者の養成に努力するのだ。

 徳永直の「林の『青年』を中心に」という論文は、徳永の近頃の勉強が明らかに反映されている点、および歴史小説をいかに書くかというひろい観点から「青年」を問題としている点など、興味あるものであった。
「当面した現実の階級闘争の必要性を歴史小説において取上げることはブルジョア陣容においても見のがしてはならない。」直木三十五、吉川英治らが明治維新を「王政復古の名によって描き出し、帝国主義段階の今日において大衆のファッショ化を積極的に強化しようとはかっている。」この現実の闘争におけるモメントこそわれわれプロレタリア作家に正しい歴史小説を書くべき任務を負わせている。プロレタリア作家の歴史小説として「青年」を批判しているのである。
 徳永は、亀井の論文においては林の「階級的分析に対する無関心」としてだけ
前へ 次へ
全19ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング