加え、婦人の間にも代議士その他として有能な活動家を出しているとき、実際に働けないとわかっているものを立たせ、当選させ大衆の信頼を裏切ることが賢明といえるでしょうか。わたしが健康をもっていないことは残念ですが、わたし自身の放らつによって今日健康を失っているのではありません。
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立候補しないもう一つの理由は
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民主革命の途上においてこそこれまで天皇制、軍事的権力のもとに生殺の権をにぎられ、弾圧されていた人民的能力の各種各様の開花が期待されるべきであると信じるからです。六月号の新日本文学をよんだ方は十返肇の小林多喜二についての短文中、「同志によって殺されたにしても」小林多喜二は満足であろうという文章をよまれたでしょう。
同じような文句は一九三三年二月小林多喜二が築地警察署で拷問の果に殺されたとき、板垣直子がかきました。小林多喜二を殺したのは共産党であるというデマゴギーは、このようにして十六年後もまだ或る人々の観念の中にあるのです。共産党とプロレタリア文学運動に関係してわたしが人間性を失い同時に文学の能力を殺された、
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