一糸をも乱さず暮したい」「対人的には朋友を信じ博愛衆に及ぼし」近衛文麿、永井柳太郎等が文学を判ろうとしている誠意に感奮して、「実行の文学」を唱え、某方面の後援によって満州へ出かけられることに誇りを感じているらしい姿も、林氏の言葉につれて読者の心に思い浮んで来るのである。
 文学または思想における日本的なものの追求が近頃これらの作家達によって熱心にされている。万葉、王朝時代の精神が今日の生活に求められている。それらのことについての感想は後にふれるとして、世間普通のものの目から見ると、そのような一部の作家たちの今日の姿こそ、まことに日本的なるものの顕著な実例として、ことの成りゆきをうち眺めざるを得ない気持を起させているのではあるまいか。分るようで分らない。そういうものがある。
 私は混乱をかきわけて単純に問題に近づいて行きたいと思う。そして先ず何が、今日一部の作家の自覚をそのように迄苦しめている文学と一般読書人の生活感情の疎隔を生じさせたのであろうかということを考えて見たいと思う。そしてまた、壮年期に入りつつある時代に今日のような社会情勢にめぐりあったこれ等の作家達が、大人の文学を創りたい
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