盾、自我の分裂は、果して彼をどのように生かし得たであろうか。
 芥川龍之介は、ブルジョア文学の背骨の中に漱石がのこして行った宿題を、その生涯で解いた作家であった。社会的制約の間に切っぱつまった自我の姿を凝視しつつ、彼は自己を破壊することでそれを主張したのであった。

 プロレタリア文学の擡頭は、日本の文学に新しい局面を開き、新たな芸術の価値と質的展開の可能を示したのであったが、一九三二年以後の日本の社会事情は、最も瞠目的な方法と過程で、その退潮を余儀なくさせた。作家として、自己の帰趨に迷ったブルジョア作家の一部は、この退潮を目撃して、文芸復興の呼び声を高く挙げ、爾来この二三年間は古典の研究、リアリズムの問題、純粋小説の提唱、能動的・行動的精神の翹望が次々に叫ばれつづけて来たのであるが、文学の実際の復興は困難にめぐりあった。
 プロレタリア文学運動を退潮せしめた力は、社会情勢の有機体の内でやはりブルジョア文学をも萎縮させざるを得ない実際となった。一般人の生活水準の低下と社会的自主性の低減は、日本のブルジョア文学の独特な伝統が、ヨーロッパのイッヒ・ロマンとはまた異った歴史性をもつ私小説につ
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