部の読者を退屈させながら、この文章の前半に長々しく明治文学の略図を描いたのも、ここのところの歴史的の姿をもう一度、読者の判断の前に供したかったからである。
文学の仕事、文学者の任務が、大衆の指導にあるという自覚と、そのことで大衆より経済的にも優位におかるべき筈であるという、芸術至上的な自己評価の習慣は、ブルジョア文学が実際は大衆の生活感情とのつながりを失っても猶作家の心に残像としてのこっていることがあり得る。読者としての大衆の文化水準の低さのみがこの場合目につけられ、作家そのものの実質を低下させている社会的母胎の質の問題が見落された時、一部の作家自身が云うように「抽象的な情熱」が喚《よ》び迎えられることになるのである。
私は、今日万葉、王朝の精神を唱えている一部の作家が、我からそれを「抽象的な情熱」と云っていることを、実に意味ふかく思う。明治、大正のブルジョア文学の潮流においては、仮にそれはどのように孤立的、短期、且つ不成功であったとしても、一度も「抽象的な情熱」という自覚をもって云われたものはなかった。二葉亭の一生にしろ、北村透谷の生涯にしろ、樗牛、漱石、芥川、すべてこれらの人々の情熱は、生活的であり具体的であった。藤村、晶子にしろロマンチシズム時代の空想をさえ生活実体として具体的に感覚し得ただけ生活力と若々しさをもっていた。
「抽象的な情熱」という十分の自覚に立って日本の文学古典のうち最も生活と芸術とが融合一致していた万葉時代の、生命力に溢れた芸術の精神を唱えるという人々の矛盾を、私たちは何と解釈すべきであろうか。万葉とは対蹠的な罪業や来世の観念に貫かれた王朝の精神というものを、万葉とともに、抽象的な情熱として愛するということは、殆ど理解しがたい迄に困難である。
このように相反する時代精神を享受する情熱が、何故に芭蕉の芸術的精神を肯けないのであろう。抽象性は、何故に芭蕉に面して透明を欠き、具体的となるのであろうか。
芭蕉の作物には源氏物語のような書きだしがないからであろうか。或は林氏のように座談会へ袴を穿いて出席することによって自分が文学をするサムライであることを証言しないからであろうか。または、芭蕉の芸術家としての生きかたは、当時の時代的環境によって、鬱屈的であり、浪々的、捨て身すぎて、今日の作家生活の実際にふさわしくないからでもあろうか。
万葉の芸
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