いえば古いタイプと常識とをもっていることを気づくのである。
小説は、最も現実の脂と匂いのきついものであるから、その作者が創作に当って地道に腰を据えれば据えるほど、作者の社会性がむき出しに現われる。プロレタリア文学にあっては、今日の階級的発展段階において一つの重圧ともいい得る他階級の既成文学の影響が、いろいろの姿をとって現実の感じかた、観かたの中にはもちろん、その具体性としての文章の上にもまざまざと反映して来るのである。
ブルジョア文学の上で文学的表現とされているようなある種の現実に対する概括法からわれわれが自由になり、真に「二つの全く同じ石ころはこの世にない」現実の核心に迫って、雑多な錯綜の関係を見とおし描き出し得るまでには、なおこれから先幾多の社会的克服が個々の作家の文学及び文学以前の実践でなければならないのであろう。
「風雲」に即してのことではないが、ある作家の持味というものがブルジョア文学では重大視される必然がある。それぞれの作家が質的の発展をとげぬ限り、階級の枠はかたくそこらの作家の才能の裾をとじつけているから、主題において進展し、拡大することには異常な困難がある。勢い、作
前へ
次へ
全12ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング