合、私どもはそこに髣髴と浮き上って来て未だ新たな内容にまで高められ切れぬままのこっている作者の過去のタイプの文学的教養を感じるのである。
「風雲」の文章の一つ一つについて見れば、それはことごとく刻苦せられている。一字もゆるがせにされておらず、それぞれの切先をもっているものであるが、全篇の効果としては、主題の立体面を余りこまかい網でかぶせてしまい、ついに作品を作者があらわすよりは遙かに簡勁でないものとしてしまっている。
 作者はこの「風雲」において、主題の継承化のために必要な文章とは全く本質において違う文脈に属する文章の俳句風な含蓄、語らずして推察させようとする省略法の誤った使用などによって、知らず知らず煩わされていることを強く感じるのである。
 島木健作氏の諸作を読んで、私は非常に多くのことを感じ、そのある作からはほとんど苦しいほどの激情を喚び醒まされたのである。その感銘から引出された重大なある疑問についてはここにふれず、「風雲」との連関で思い浮ぶただ一つは、島木氏のように新しく文学の仕事をはじめた階級人でさえも、題材の異常性にかかわらず文学の手法としては、リアリズムにしてもどちらかと
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