ものを書こうと努力していると思われる。
私はこの一篇の小説を読み、作者のつくろわぬ真率な人となりに打たれたのであったが、作者によって目ざされている主題の効果を、はっきり読者の胸に徹底させるためには、遺憾ながら未しというところのあることも、あわせて痛感したのであった。
「風雲」の主題は普遍性をもったものである。竹造という人物とその置かれている境遇、妻ゆき子との階級的夫婦としての特定条件の具体性など、作者がすっかり突ぱなして、客観的に描いてゆくことに成功したなら、すべての読者は、竹造の持っているいろいろな条件も、つまりは、百人、千人の階級人が、それぞれの事情において持っているであろう条件の一つとして作者にとりあげられていることを納得したであろうと思う。
しかし「風雲」の中で、竹造と作者とのけじめは、そのようにくっきりとしていない。作者は、竹造のこまごまとした内的推移についてゆくうちに、あるところでは全く竹造と同化して余韻嫋々的リズムへ顔を押しつけているために、作品の後味は、この作品がある特別な階級人をその輪廓の内から書いているような錯倒した印象を与えるのである。
積極的な方向をもつ主
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