、文学のグループとして目ざしているところは、九州という今日の日本にあって意味深長な地方における現代生活の歴史を、その文学につくり出してゆくための土着の動力としての価値高い任務の自覚に在るのだろうか。中央の文壇の関心と云われているものの本質もそこにおかれているのだろうか。
沖仲仕の元じめとしての作家火野の生活の感情というものも、この意味からはなかなか興味があると思う。沖仲仕という職業、その職業での伝統、その伝統にある感情というものは、職業のもたらす性格という一点では、各地方に分散する同じ職業者の心理、情緒と相通ずるものをもっていることはうなずけると思う。そして、その職業の歴史的な内容からおのずと生じている感情の角度においても、大同小異と云えよう。そうだとすれば、職業からもたらされる感情の傾き、その波一般では、地方土着の文学の素質を決定するものとならない。
単に郷土的意味で、そこから一人代議士が出ると、村の有志は皆年に一度ずつその代議士のひきで東京見物をすることになる実際が、文学以前のことであるのも自明である。
地方に分散して何かの力をもつ作家やグループが、真に文学として分散して存在
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